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みんなの思い⑤(道草通信より)

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みんなの思い――みちくさ通信より⑤

№97 2020.1.25「誰でもどなたでもいい! お願いです! ワタルを助けてください!」
№96 2019.11.23「-第17回つどいの報告-リアルに人や自然と接し、心の動く経験を」
№95 2019.9.28「焦らず・少し頑張って・見守ろう!」
№94 2019.7.20「 “大人が自分をわかってくれる”こと」
№93 2019.5.20「道草の会の皆様へ」
№92 2019.2.22「最近思うこと」
№91 2018.11.24「保護司と保護観察について」
№90 2018.9.22「ー道草の会16周年に寄せてー今こそ憲法と子どもたちが輝く世界を」
№89 2018.6.23「事実と正直とモヤモヤと」
№88 2018.4.28「母になった娘」
№87 2018.2.24
№86 2017.12.23「ひとりで悩まないで!!」
№85 2017.10.28「私の疑問 ~横浜市の教育行政~」
№84 2017.9.18
№83 2017.7.22「信じて見守りましょう!」
№82 2017.5.27「33才(長男)と28才(次男)の親(63才) この頃思うこと」
№81 2017.3.18「当時の息子の気持ちがわかった?=レポートをよみかえすことで深めたい」


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みちくさ通信№97
誰でもどなたでもいい! お願いです! ワタルを助けてください!
道草世話人 ケイト


年が明け間もなく33歳となるワタル。彼が中2の夏、我が家に嵐が吹き始めた。見知らぬ自転車を乗り回しているのを見かけ、「その自転車、誰の?」と聞くとサッサーッと逃げだす様子に、「あれっ!? 何かおかしい・・・」と不安がよぎった。慌てて車で追いかけ「間違いを正さねば」と問い詰めた。私からワタルへの攻撃的な叱責は、直後、倍の反撃として私に戻ってきた。今までと違うワタルの反応…。この出来事は、私にとってつい最近まで、“ワタルが「非行」という坂道をころげ落ち始めた瞬間”だと思ってきた。でも、本当は、ワタルではなく“私自身が坂道を転げ落ち始めた瞬間”だと思う。
その後の彼は、喫煙、遅刻、怠学、授業中も仲間とつるんで校内徘徊など…。何が起きているのか訳が分からないまま、ただオロオロする私を尻目に、夜中や明け方の帰宅、半分削ぎ落した眉毛と三角に吊り上がった眼は、まるで地獄からの呼出し状におののき絶望しているような形相だった。バイクの無免許運転で何度か補導され…、私には長い長い先の見えない、とにかく今まで経験したことのない時間だった。
夜中遠くで救急車のサイレンが聞こえると、ワタルが暴走行為で事故を起こしていないか、誰か巻き込んでいないか、胸が苦しくて悲しくて辛くてたまらなかった。学校からは毎日のように連絡が入り、親として精一杯育ててきたささやかな自尊心は砕け散り、私の育て方のどこが間違っていたのか、何が悪かったのか、どうしたら元の息子に戻せるのか、途方に暮れるばかりだった。
そんな時、それまで祖母としてやんちゃな彼とあまり仲良しではなかった同居の母が、彼の大好物のチャーハンをせっせと作り、小遣いをせびられると前もってお金を減らた小銭入れの中を見せながら、「これしかないから、少しだけど我慢してね!」と小遣いを渡してくれた。
父もワタルを見かけると時折声をかけ、自分が通う教会に連れて行った。もちろんワタルが信心深い訳ではなく、途中で奢ってもらうお楽しみと、彼なりに嵐の中必死で尖がり粋がっている日常からひととき解放され、あまりあれこれ言わない祖父との穏やかな時間だったのかもしれない。
その後も、ワタルが小学4年の夏休み次女と2人でひと月近く遊びに行かせてもらった遠方の叔母と従兄を頼り、今度は彼1人畑仕事を手伝うという名目で面倒を見てもらい散々心配をかけた。それでもここまでは身内の話だが、お世話になった方々のことを思い出すと、これはまだ序章でしかなかった。
ワタルを飲み込み苦しめた激しい嵐は、見映え良く装ってきた私の鎧も引きちぎり吹き飛ばした。私は見栄も外聞もなく髪の毛も振り乱し「誰でも、どなたでもいい!お願いです!ワタルを、大切な息子を、どうか一緒に助けてください!一緒に育ててください!お願いします!」と大声で叫ぶことができた。


みちくさ通信№96
-第17回「非行」「子どもの問題」を考える親たちのつどいの報告-
リアルに人や自然と接し、心の動く経験を
世話人 上田祐子


9月28日、「今どきの子どもたち」をテーマにつどいを行いました。
講師は元家庭裁判所調査官でNPO非行克服支援センター理事・相談員の伊藤由紀夫さん。私たちが例会で感じている「集団での非行が減って、振り込め詐欺の受け子や薬物など、個別、内向きになってきている?」という疑問に対し、非行の変遷や子どもたちの心のあり様など、ていねいな資料も用意して、ひも解いて下さいました。
インターネットなど今の時代の影響も大きくて、リアルな対人関係を持つことが難しく、リアルとバーチャルの境がはっきりしなくなって、見たくないものは見ないですませられるなど、現実を検討したり適応したりする力が弱くなっていること。また、すぐに返事をしないとはぶられる即レスなど同調圧力を強く感じ、ゲーム依存で強迫的になるなど、自分の感情を自分のものとして感じたりおさめたりが難しくなっていること。子どもたちがどれほど孤独や不安を感じやすい環境の中で生きているのかを思い知りました。
伊藤さんは、リアルな体験、人や自然と接する機会を作っていく大切さを言われました。今を大切に実感しながら、心が動く経験を積むこと。否定ではなく肯定的な関わりを経験していく等々。最後に、少年法年齢引き下げの動きの問題も指摘されましたが、子どもたちにとって大切な、リアルで肯定的な人と関わる機会を奪う動きだと、改めて引き下げの流れを食い止めたいと思いました。後半の質問コーナーでは、参加者からの質問に答えていただきながらより深いお話を聴くことができました。タップリ取っていたはずの時間が足りず、また機会が作れたらと思います。
体験報告は4回少年院に行ったかけるさんが、それぞれの少年院での思いをていねいにたどりながら、4回めの特別少年院で、もう下がない、一番下からやり直そうと、目の前のことに全力で取り組むようになって、それが習慣化し、人格や考えが変わった。自分に目を向けるようになって、夢や目標を見つけられたのが変わるきっかけになったと話してくれました。やり始める前から自分には無理だと、可能性を否定したり逃げていた人生を、挑戦する人生にしようと思って少年院を出た。少年院で見つけた夢は歌手。実現できるかは別にして全力で取り組むことで生かせることはある、自分で決めて一度挑戦してみようと、出院して全力で挑戦した。挑戦を続け、自分という人間が変わったら出会いも変わって、支え、教えて下さる人に出会えている。出会いって大事だなと思う。
今日ここで話していることも挑戦で、緊張してるけど自信になっている。ずっと自分をクソ野郎だと思ってたけど、そんなことないんだぞと自分でも認識ができる。子育て、仕事、講演、社会人サッカー、趣味、今までできなかった、やってこなかった、でも本当はやりたかったことを、これからは色々挑戦していきたいと思っているというかけるさんのお話は、伊藤さんの、リアルに人と関わり心の動く経験が大切というお話とダブり、胸が熱くなりました。
残念ながら参加者は少なかったのですが、何年ぶりかで参加して下さった会員の方や、会員や講師の伊藤さんのつながりで、BBS活動(兄や姉のような存在として悩んでいる少年少女たちに関わる活動)をされている方、弁護士さんや元調査官の方なども参加して下さり、新しい広がりができたつどいでした。


みちくさ通信№95
焦らず・少し頑張って・見守ろう!
会員 K


息子が道草を始めだしたのが中学3年生の秋、たばこ、夜遊び、校則違反、学校に行ったふりして欠席、事あるごとに学校からは呼び出しを受け、さらに警察からは保護の連絡、怒ったり、なだめすかしたり、いろいろな方法を考え実行してみましたが、親の思うようになりませんでした。高校は入学しましたが、3日で先生とトラブルを起こし、1ヶ月程で退学することとなりました。あげくの果て鑑別所に行くことになり、まったく知らない世界に放り込まれ、親としてどうしたらいいのか?途方に暮れていた時、「道草の会」、「あめあがりの会」に繋がることができました。
わらをもつかむ思いで例会に出席し、それぞれの会の世話人の方、会員の皆様からいろんな経験談、アドバイスをいただくことができ、落ち着きを取り戻すことができました。そんな中で『焦らず・少し頑張って・諦めず』という言葉を心に刻み息子と接してきました。
それから約10年、未成年のときに更生施設に2回、計2年間お世話になり、その時は息子の人生終わりかな?とも思いましたが、反省を促し、居場所が特定され、3食食べさせてくれて、規則正しい生活を指導してくれる、その更生施設に感謝したこともありました。息子にとっては、必要な道草だったかも知れません。
今、息子は26歳になり、結婚し子どもが3人います。外から見れば、一般的なまあまあ幸せそうな家庭ですが、父親としての顔、夫としての顔、仕事をしている時の顔が極端に違うときがあります。その親として微笑ましい時もありますが、冷や冷や、ドキドキしていることが多く、これが息子の生き方なんだろうなと感じています。
母親は、息子が未成年の時は、振り回され右往左往していましたが、今は『成るようにしか成らない』と言い、心配しながらも息子とは少し距離を置き、孫一番でかわいがっています。私も『焦らず・少し頑張って・諦めず』の信条から、『焦らず・少し頑張って・見守ろう!』と変えて過ごしていこうと思います。
今までお世話になりました皆様に感謝申し上げます。また、これからもよろしくお願いいたします。


みちくさ通信№94
“大人が自分をわかってくれる”こと
スクールカウンセラー 元公立中学校教員  山本なを子


 あめあがりの会に入ったのは、まだ中学校教員だった頃、能重先生(あめあがりの会前代表)に、こういう会があるので出席してみないかと、例会に出ることを勧められたのがきっかけでした。まだ学校が週6日だった頃で、例会は土曜日の午後開かれていました。
 能重先生には40数年前私が新任の音楽教師として赴任した足立区の中学校で出会い、以後11年間同じ学校で過ごし、悪戦苦闘する私の教育実践を見てくれていました。音楽の授業をやっていくのに精一杯で、20代はずーっと悩みの連続でした。授業を成立させること、学級担任として毎日をどう切り抜けていくか、悪戦苦闘していました。足立区の東の端にあったその学校は、他の足立区の中学校同様多くの問題を抱えていました。生徒数も学級数も多く、家庭の経済環境もよくありませんでした。その後勤めた葛飾区・墨田区と比べても大変な地域であったと思います。“若い音楽の女の先生”特有の苦労もありました。当時、学校の状態は、“トイレと音楽の授業を見ればわかる”と言われるくらいでしたから。 “席につかない、静かにしない、指示を聞かないetc,”。ないない運動みたいですね。もちろん私の指導力が追いつかないからですから、指導力をつけるための勉強をしながらの苦闘の日々でした。初めの2年間は副担任でした。手に負えない生徒がいた一方では、若い私に親近感を持って接してくれる生徒も多くいました。初めて授業参観をする日、教卓でスタンバイしている私の前を通りながら「先生、頑張って!」と声をかけられて驚いたのを覚えています。なかなか静かにしない生徒たちに「静かにしなよ!」と怒ってくれるリーダー格の生徒もいたのです。もっと頼りになる先生にならなきゃと思わせられました。11年その学校にいるうちにだんだんましになっていったように思います。生徒に育てられたようなものです。その中には“番長”といわれるような男子生徒たちもいました。
 11年目、私は2人の幼児を抱えて3年の副担任をしていました。学年6クラスに一人ずつかなりの暴れん坊がいて、そのトップは2年の時に対教師暴力をして、保護観察になっていました。副担任として彼らと関わり、トピック的な出来事もあって、話もできるいい関係ができた頃、私が能重先生に彼らの生活について愚痴ったときでした。「彼らだって彼らなりに14年間生きてきたんだ。そうやって生きてきたものをいっぺんになかったことにはできない。大事なのは、大人の中にも話の分かる人がいるということをわからせたことにある。」と言われたのです。この言葉の意味を当時の私は適確に受け取ることができませんでした。“大人が自分をわかってくれる”ことが、つっぱり中学生の彼らにとってそんなに価値あることとは思いもしていませんでした。適確に腑には落ちなかったものの、私の中に残り続けていました。能重先生にもらった言葉は数多くありますが、他の先輩教師からもらったものと違うのは、具体的なああしろ、こうしろではなく、中学生を人間として理解するところから生まれた“哲学的”な考察に基づいていることです。教員を早期退職して、カウンセラー目ざして臨床心理学を学んだとき、それ(能重先生の言葉)が理論として説明されることを実感しました。
 スクールカウンセラーとしては、非行問題よりも、不登校問題に関わることが多いのですが、中学生の心の中に、“一人前の人間になりたい”という叫びがあるのは、昔も今も変わらないと感じています。一人の人間としての彼らの人生に敬意を払いつつ関わるのが、大人の役割だろうと思っています。


みちくさ通信№93
道草の会の皆様へ                     
会員 H・S


ごぶさたいております。感謝の気持ちを伝えさせていただきます。
昨年初めて参加させて頂き再スタートに向けて他県へ越したSです。
三男の仮退院の日が決まりました。本人の力強い旅立ちのメッセージを先日聞きました。これから新しい帰住地へ行く決心のある手紙も届きました。逮捕されてから13か月です。彼のいない日は慣れることがなかったです。笑うことも許される事のない少年院での生活は私たち家族に計り知れない不安を与えました。入院して始めての面会の日。たわいのない会話で…「笑い方忘れてる。笑えてる。」という息子。たしかに右頬も左頬も引きつっていた事を忘れられません。笑えていなかった。笑うことを禁止されているから笑い方がわからなくなってしまったのでしょうね。
みちくさの会に初めて伺った時、私は息子の話を家族以外の人に初めて話しました。話すことは自分で選択できました。「話さなくてもいいですよ」と言われていました。でも自然に『聞いて欲しい…』という気持ちになりました。《肯定や否定もしません》という安心感もありました。ずーっと母親として息子を苦しめて居場所を失くして(うばって)悪友とつきあい犯罪を犯してしまったと、自分で自分を追いつめ、夜になるといつも後悔し毎日泣いていました。
母親である自分がなぜ、息子を悪の道から救えなかったのか。母親失格だ…と毎晩思っていました。不良行為を繰り返す息子をただ叱りつけ、家中のカギを掛け出掛けないように毎晩見張っていました。朝はたたき起こし学校へ行きなさいと朝から怒鳴っていました。
彼の心の〈さけび〉を一度でも聞いて上げていただろうか。心を閉ざし、心で泣いていた彼を一度でも愛し救いたいと思ってあげていただろうか。
更生イコール甦る‼
沖縄で活動されている武藤杜夫先生の講演でうかがった言葉です。
家族で再スタートです。きっと笑顔で明るい家族に甦ります。息子を信じています。道草の会に出会えて、頂いた一つ一つの言葉に感謝いたします。いつか息子と一緒に苦しんでいる子どもの為になる事をしたいです。
ありがとうございました。


みちくさ通信№92
最近思うこと
道草の会世話人 M


 また、親からの虐待で幼い命が奪われてしまった。せっかく行政の支援が受けられていたのに防ぐことができなかったのはなぜだろうか。老人施設や障害者施設でも、職員による虐待が次々と報道されている。強いものが弱いものを暴力でねじ伏せてしまう。この様なことを防ぐ手立てはないものか。マスコミは事件があると、異常に騒ぐけどその時だけ。私に何かできることはないのか。
 厚労省の毎月勤労統計が不正だったことが判明した。その前は外国人労働者の実態調査結果を改ざんしていたし、不正・隠蔽など次から次へと発覚しているから、またか、もうそんな話題はうんざりでどうでもよい、と言いたいけど、本当にそれでいいのかな。国や政治がウソばかりで信用できない社会にはしたくない。
選挙権年齢が18歳になり、少年法の適用年齢も18歳未満にしようとしていて、日弁連などは反対を表明している。息子は18歳で少年院に入ったおかげで、更生して今があると思っているので年齢引き下げをしてほしくない。

私にできることは、日常の様々な場面で自分なりに感じることがあった時、意思表示することだ。思っていることを声に出し、行動する。そのために学ぶこと。一人だけでは何も影響は与えられないけど、同じ思いの人はきっと他にもいると信じている。意思表示しようとすると、私たちの日常はすべて政治とつながってくるから、私の目線で政治や色々な政策を学ぼうと思う。
最近、自分が関わっていることで、モラルハラスメントについて学んだ。予防するには、良心に反することには、被害者もまわりにいる人も「ノー!」と言う事が大事だと聞いた。そして被害者は、自分がどんな被害を受けたか社会に発言するべきと聞いて、私の中でヒットした。いじめの場面に出あったときには毅然と対応する勇気を持とうと、改めて思った。
そして加害者も、事件が起きてからその人を責めるより、少年たちのために少年院があるように、大人にも、自分を見つめ直して自分の間違っている点に気づくような手助けができる機関がたくさんあれば、事件を未然に防ぐことにつながると思う。私は国や行政にそういう政策を望んでいる。


みちくさ通信№91
保護司と保護観察について
保護司 狩野 修

 
みなさま、初めまして。「非行」と向き合う親たちの会にお世話になって10年以上が経ちました。とは言え、道草の会では、まだ半年程度です。神奈川に来る前は、福岡の「ははこぐさの会」で9年、その前は「あめあがりの会」でお世話になりました。保護司とは言え、仕事は普通の会社員です。転勤を伴うことがあるので、更生保護活動も親の会もその度、転々と活動しています。
 更生保護活動が地域に根ざすことを目的としていることがあるとしたら、残念ながら私は中々目的を達成出来ていません。もちろん、地域事情を知った上で活動する方が、少年たちの更生を支援することに有効であることは間違いないと思っています。
 せっかくの機会ですので、保護司と保護観察について、少し説明します。保護司は保護観察を担当すると、その対象者(今回は「少年」と限定します)と概ね月二回の面接の中で指導や助言を行います。面接の行われ方は、保護司宅等で面接する場合を「来訪」、少年宅で面接する場合「往訪」と言います。月二回の面接の多くは「来訪」によって繰り返されます。少年の保護観察の場合、保護観察所からは数か月(3か月から4か月)に一度、「往訪」して欲しいと言われます。「往訪」の場合は、少年と引受人(多くは親)も一緒に話し合います。保護観察が行われる中で、「親」と保護司が関わることは、「往訪」のタイミングが一番多いと思います。もしかすると「往訪」の時くらいしか、保護司とも関わりを持つことがないケースも多いと思います。(保護司の中には往訪を多くされたり、親とも熱心に連絡を取り合う方も多くいます)
 私が親の会に興味を持って参加している理由の一つとして、保護司活動を通じて社会的に活動自体を批判されることは少ないのですが、この会に来ると、親御さんが率直な意見で保護司に対する感情を言ってくれるのです。「うちの担当の保護司は何もやってくれなかった」「以前担当してくれた保護司が良かった」親の会に来られる親御さんは、世間では話せない、家族や親戚にも話せない。でも、ここに来て話すと気持ちが和らいで、また頑張ろうと思う。そんな生活や感情の中の言葉ですから、素直な感情をたくさん言って欲しいと思っています。
先に話したとおり、保護司と親の関係は少し遠い存在になってしまっているケースがあるのが現状です。私自身もそうですが、少年への対応が第一優先になってしまうので、もっと親御さんと相談しないといけないなと思いながらも、中々コミュニケーションが取れていません。
 最後に、地域に根ざせない更生保護活動でご迷惑を掛けていることも多いですが、想いさえあれば何処でも更生保護活動は出来るものと信じていますし、続けていきたいと思います。少年が主役の保護観察ではありますが、この会は親御さんが主役だと思ってます。
少年も親御さんもいつか笑顔で話せる日が来ることを見守っていきたいと思います。


みちくさ通信№90
ー道草の会16周年に寄せてー今こそ憲法と子どもたちが輝く世界を
道草の会代表・NPO法人のむぎ地域教育文化センター代表 樋口義博


 7月28日に「『非行』『子どもの問題』を考える親たちのつどい」を兼ね、第16回「道草の会」の総会が行われました。「社会の変化と子ども・家族」をテーマに掲げたこのつどいでは、さまざまな有意義な話し合いをすることができました。
私にとっては、身体の不調もあり、久しぶりの参加となった会でしたが、継続は大きな力であるというまさに悩む親たちを“ひとりで悩まないで”と言いつづけ、励ましつづけてきた「道草の会」の16年にも及ぶ粘り強い歴史を感じさせるような集まりであったような気がしました。
 今、子どもたちをとりまく日本は、民主主義にとって大変な危機的状況がうまれています。〝人間らしく、自分らしく、平和な世界の中で生きたい″との子どもたちの切なる願いが泥靴で蹴られるように子どもたちの権利が踏みにじまれていくできごとが安倍政権のもと、つぎつぎとあらわれてきています。「人生に疲れた」「自分のことをダメな人間と思う」などと答える子どもたち。そして、子どもの自殺もあとをたちません。決してこんな世の中があっていいはずはありません。今ほど、子どもたちの権利を大切に、〝憲法と子どもが輝く社会”が切実にもとめられている時はないといえると思います。
私たち夫婦は、子連れの再婚夫婦として3人の娘の子育てで苦悩し、夫婦だけの責任で子育てはできないとの結論から今から36年前に自宅の6畳間を開放して「のむぎ」という民間のセンターをつくりました。その後、「のむぎオープン・コミュ二ティ・スクール(フリースクール)」を創り、16年前には「道草の会」もつくられ、支えられてきました。今、この時の原点を振り返る必要性を痛感しています。
私は、先日8月17日から3日間にわたって長野市で行われた「みんなで21世紀の未来をひらく教育のつどい―教育研究全国集会2018」(父母・保護者、市民、教職員らのべ4200人が参加)に出席する機会に恵まれました。私にとっては何十年も前に東京の私立高校の教諭時代に全国私教連の代表レポーターでの参加以来の教育研究集会でした。今回は、参加者としてのみでしたが…。(たまたま、8月13日から19日の1週間、毎年行っている<のむぎ>の自然体験学校が上田の山荘で行われていましたので、私だけ抜け出しての参加です。もちろん、上田市から長野市までの通いで…)事前に聞いてはいましたが、期間中、長野市内には100台以上の右翼の街宣車が妨害に出て、騒然とした中での教研集会でした。
今の政治状況を見事に反映しているのを感じました。
「憲法と子どもの権利条約が生きて輝く教育と社会を確立しよう」をテーマに行われたこの教研集会は、私に大変なインパクトを与えるものになりました。特に、多くの若い青年教師の「レポート報告」は、私にとってはショックにも似た印象を与えるものでした。憲法を守り生かすのか、憲法を改悪して日本を「戦争する国」へとつくりかえるのかが鋭く問われる中で、大きな希望を与える内容のものが多くみられました。
私は、報告を聞きながら、「のむぎ」を創り、「道草の会」が創られていく原点を振り返る機会が与えられた中で、今、あらためて感じることがありました。
それは、戦後73年を経た今こそ、真の「深い危機の時代」だということ。それは、人間が人間として生きていく上で、本当に切実な「危機」ということもできると思います。今回の教研集会に参加していた若者たちを見ながら、そのことを身をもって感じることができました。
そして、その「危機」の深まりが、逆に〝好機″となるという、まさに弁証法としても感じることができました。
私の尊敬する教育学者の竹内常一さんは、以前、次のように述べたことがありました。
「青年(子ども)は、自分の危機を通して時代の危機をもっとも鋭く受け取るように、又、青年(子ども)は自分自身の発達の危機に挑戦することによって、時代と人間の危機にもっともよく挑戦できる存在である。その意味では、現在の社会と文化と人間の危機を克服する鍵を握っているものは青年(子ども)だということもできる」
今、私たち大人たち・親たちに課せられた課題とは、「未来に向かって、青年たち(子どもたち)が人間らしく育つ権利を保障する平和な社会を用意することができるか」ということだと思います。それは同時に、私たち・親たちと青年たち(こどもたち)にとっての共同・共生の課題でもあると思います。 


みちくさ通信№89
道草世話人 KEITO(ケイト)


ワタルへ
あなたの可愛い子どもたちは、この蒸し暑い梅雨の季節でも、毎日騒がしく愛おしい声を張り上げ、すっかりウルトラマンになりきって、飛び跳ねているのでしょうね。
一昨日は、バスや電車が通るたびに、「バス!バス!・・・電車!電車!」と言って歓喜し、昨日は、ありんこや芋虫を見つけては、くっついてまわり、今日は、ウルトラマンとなって戦っている。かつてあなたもそうだったように、ありのままに、心のままに、一瞬一瞬を自然に、今の自分を生きている。精一杯生ききっている。彼らは「自分に正直に・・・」なんて言葉が空々しく思えてしまう程、エネルギーに満ち溢れ、輝かしい貴い存在です。
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世間で大きく取り上げられた日大アメフトの危険タックル。監督やコーチが「指導者と選手の受け取り方に乖離が起きていた」という会見を見た時、ちょっとモヤモヤしながらも、少なくともこの人たちはそう思っているのかな?と、思った。昨年2月「友人ではあるが、頼まれたこともない。嘘だったら首相も辞めるし、国会議員も辞める」と言ったニュースの時も、「さすがにここまで言うなら、本当かな…!?」とモヤモヤしながらも、そう思う自分がいた。
そして偶然、危険タックルをした選手の会見を見た時、20才の青年=学生の言葉は、とても痛々しく、途中で「もう早く切り上げて欲しい」と聞いている私まで苦しい思いになりながら、結局1時間釘付けとなった。でも、ふと気付くと、私の中にあのモヤモヤがなかった。この青年は、とにかく自分に起きた事実を出来るだけ正確に、正直に伝えようとしている、と思えた。
その後の経過を見れば、あのモヤモヤは、言葉を単純に受け取ってしまいがちな私に何かを伝えようとしていた。事実に対して、正確に正直に真摯に向き合わない限り、結局モヤモヤは消えない。危険タックルをしてしまった青年も、されてケガをした青年も、彼らに絡んだモヤモヤは、彼らの成長に必要な、準備されるべき課題ではなかったと思うと、心が痛い。
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再び、ワタルへ
これからあなたの大切な子どもたちが成長していく中、さまざまな出来事に出会っていくことでしょう。その時、出来るだけ自分の心に正直に、自分が自分自身になれるように生きていけたら、そして、それを支えあえる仲間に出会えたら、どんなに素敵でしょうね。
もちろんそんなに甘くないですが、非力でも、私は出来る限りあらゆる人と手をつないで、彼らの前に立ちふさがるモヤモヤと格闘しようと思うのです。彼らが悩む問題は、彼らを磨き成長させる課題であって欲しいのです。それが、かつて未熟だったワタルの親として、孫たちを宝物と思う“ばぁば”として、私が出来るささやかなプレゼントだと思うです。


みちくさ通信№88
母になった娘
会員 戸川朝子


 道草の会に入会したのは会ができたばかりの16年前のことになります。援助交際、キャバクラバイト、覚醒剤、鑑別所、少年院、ひたすら非行の道を進む娘に翻弄された後、家族で転居して少年院を仮退院した娘と新たな生活を始めたのですが、2カ月もすると娘は家出しました。とにかく居場所をつかみたい。けれど、警察への捜索願も私立探偵も実際には役に立たない。そんなとき道草の会は最初に駆け込んだ安心できる場所でした。
 今、娘はシングルマザーとして1歳2カ月の男の子を育てています。この出産は実はかなりの困難と危険があったので、じじばばとしては元気な赤ちゃんが生まれることだけを願う、不安に満ちた数カ月でした。生まれるまでの間、お医者になんと言われようとも命を守るという娘の強い意志には我が子ながら天晴れと思いました。今回も親はおろおろするばかり。娘は確固としているのです。でも内心は不安でいっぱいだったかもしれません。命を大事にしたい、ちゃんと子育てをしたいという気持ちを持っている娘であることをうれしく誇らしく思います。 かつて娘のお給料はほとんど山歩きやアウトドアグッズなどに消えていたかのようでしたが、人生の舵を大きく切って、子育てを中心に据えて仕事と住まいを選び直しました。母としての自覚と喜びを感じていることが伝わってきます。
 私は今、児童自立支援施設に非常勤講師として勤務しています。ここの生徒たちはいろいろな経験を持ち、困難を抱えていて、人間関係をつくるのが上手ではない子どもが多いのですが、どの子もお年寄りや赤ちゃん、動物たちには優しいんです。生徒の希望をくんで、私の担当する保育の授業に本物の赤ちゃんを連れていきたいのだと娘に話すと、快く引き受けてくれました。職場側も応援してくださり、まだ生後4カ月だった孫を授業に連れていきました。娘と孫が参加した児童自立支援施設での保育の授業! こんなことが実現するなんて素敵でしょう。孫は人見知りの時期か泣いてしまう場面が多かったのですが、みんなに代わる代わる抱っこされ歓迎されました。そしていつものように、生徒たち、先生方、職員さんたちと一緒に食堂でお昼ご飯をいただいて帰ってきました。娘は「楽しかった」と言ってくれました。
 児童自立支援施設の子どもたちは、施設にいる間は生活のことと教育に関しては手厚く保護されていますが、社会に出て自立していくのには大きな困難が伴います。シングルマザーに育てられる子も、施設出身の子も、だれでもが差別されることなく人生を拓いていけるような社会であってほしいと願っています。
追記:娘(ゆか)は『ざ・ゆーす』第17号(NPO法人非行克服支援センター発行)に寄稿しました。母親としては複雑な思いで読みましたが、この大きな変化のあった時期だからこそ、自分自身を見つめて書いたのだと思います。どうぞお読みください。


みちくさ通信№86
ひとりで悩まないで!!
子ども・教育・くらしを守る橫浜教職員 金井登志男


1.だれのための権利
  11月24日、自民党は安倍政権の政策を提言しました。「人づくり革命」では原則「保育の無償化」 、保育労働者の規制緩和など。「良質な雇用を得るには、生涯を通じて学び直しを行うことが必要」と強調。「こうした能力を身につけるには、幼児期の教育が特に重要」 だとしています。
 このことで、私は怒っています。
教育は良質な雇用を得るためではなく、「人格の形成」をする機会を保障することです。
憲法第26条 「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」 だれのための教育を受ける権利なのでしょうか?今日の恣意的な教育の方向を変えなければ、ひとり悩む子どもは、「主権が国民に存する」社会を感じ得ず、「人格の形成」をする機会を保障されません。
2.子どもたちの権利を保障するために、大人は寄り添っていますか?
自分のまわりの子どもたち、地域の子どもたちの様子を受け止めざるえない機会が増えています。教員だった時に関わった子どもたちが引きこもり、悩んでいる姿に数件、ぶつかっています。子どもたちの権利を保障するために、大人は寄り添っているか?家庭、学校、行政、地域の狭間にひとり悩む子どもがいるのに?胸が苦しくなります。自分に何ができるのか、考える日々です。 
3.Aさんとの出会い
私・金井は5年前、鶴見区の小学校を定年退職。自分がかかわった子どもたちの中で、引きこもりになっている子どもがいました。どうしても気になって関わっているうちに、子どもたちの希望で地区センターを使って、子どもたちの思いを形にする手助けをしています。今年、20才の子、自宅でベット生活を続けざる得ない子等々。どうして、こんなに身近な子どもたちが家庭、学校の狭間で、苦しんでいるのか、子どもたちの思いに手が届いていないことが多すぎると感じています。
 Aさんも、中学1年生から、不登校気味。気になっていました。しかし、時々、訪問しますが、会ってくれませんでした。話を聞くだけなのですが、金井が学校という看板を掲げているように見えるのか? 近くに行くたび、手紙や好きな本の貸し出しなどを渡してきました。Aさんが中学3年生の秋、お父さんから、Aさんが手紙を書きたいと言って、先生に書きましたと、心を込めて書いてくれた手紙をもらいました。
4.Aさんの思い・・手紙から
「私は最近でも、学校に行っていません。たまにしか行かないので、クラスのみんなは待っているよとか、気にかけてくれるのは有り難いんですけど。逆に、それがプレッシャーになっちゃって、ストレスになり、イライラしたりします。無理にいってほしいのかと思い込んでしまいます。」「私は同じ年の子とかが苦手です。私は・・・ちょっと人目が気になってしまいます。」
Aさんがほんのちょっと、心の窓を開けてくれた気がしました。その後、矢向・ほっとスペースと名付けた地区センターのたまり場に通い始め、ひたすら、Aさんは話し始めました。 聞いていて感じたことは、毎回、ひたすら聞いていくことで、本人の気持ちが落ち着いてくることです。学校や家庭はなかなか、そうした対応ができないかも知れません。そのことが、子どもたちの気持ちをさらに重くしていくのかも知れません。
5.同じ思いの子どもが大切な存在
たまり場では、後半、希望のコースで散歩します。Aさんは引きこもりをしていたBさんと、初めてなのに、30分、歩きながら、話し始めました。話すことが苦手なBさんでしたが、Aさんの気持ちがわかると後で話してくれました。同じ思いを経験した人が大切な役割をすることがわかり、大きな収穫でした。
6.「非行」と向き合う全国ネット学習会in橫浜・よかったです!
先日、この学習会に参加しました。私は向き合う会が大好きです。
①杉山 春さんのような人が、子どもに関わることで現象面から、底流に流れている社会の現状、子ども、大人の思いなどを探り、発信してくださり、みんなでそれを共有し合い、考え合っていく姿勢が好き。
②Kさんの話のような体験から、子どもの思いをしっかり受け止め、共に進んでいこうとする姿勢が好き。
③あめあがり合唱団のような 思いを文化で表現し合う所が好き。
学習会で学んだことを矢向・ほっとスペースの活動の基盤にしていかなければいけないと考えています。Aさん、Bさんにその後、自分で語ってもらえるような姿勢が大切だと考えています。
7.悩むAさん!
進路でストレスを感じ、悩むAさん! でも、自分の気持ちに正直であってほしいです。そこから、進路を考えていってほしいです。私は学校と家庭の狭間で難しくても、しっかり向き合って、寄り添って聴く大人でありたいです。


みちくさ通信№85
私の疑問 ~横浜市の教育行政~
道草世話人 JUN


《教科書採択問題》
 8月2日、横浜市教育委員会は2018年度から使用する小学校道徳教科書として、学校図書発行の教科書を採択した。当日は200人以上の傍聴希望者が押し掛けた。これに対し教委が用意した席はたった24席(何と「脅威?」なことか)。狭苦しい教委会議室での審議。なんで200人が入れる部屋を用意できないのか、憤りの声が上がった(抽選で傍聴できた人以外、大部分の傍聴希望者は、教委が用意した「開港記念館」ホールにて音声のみ…何を発言しているのか聞き取れないというひどさ)。
 審議では各委員から、出版社名を伏せた形でそれぞれ感想が述べられた。採択は、根拠不明の理由による無記名投票。結果は、私たちが反対してきた、下町ボブスレーに乗ってはしゃぐアベ首相が載った教育出版(5年生の道徳教科書)には1票も入らず。東京書籍と学校図書に3票ずつ、最後は岡田教育長のもう1票の独断で、横浜市のすべての小学生18万人が使う教科書に「学校図書」が決まった。教育出版ではなかったことは歓迎できるものの、来年の小学校全教科書の見直し採択や再来年の中学校の歴史・公民を含む全教科書の採択に向け依然として多くの問題を残した横浜市教育委員会による道徳教科書採択ショーであった。
 9月6日NHK「クローズアップ現代+」教科書採択をめぐる波紋…抗議はがき学校へ殺到・教育現場でいまなにが?が全国放映された。ご覧になった方も多かったことと思う。教育関係者(専門家)2人のゲストを交え、現在の教科書採択の矛盾点や、危うさについてわかりやすい説明があった。
昔は、学校で児童・生徒たちが使う教科書は、各学校の先生たちが、地域性や生徒の実態に合わせ、自由に選択できた。今は、教育委員会が教科書採択のための会議(一応公開)を行い、決めた教科書を各学校にあてがう(強制する?)格好で行われるようになった(しかも横浜市は全市1採択地区という全国一のマンモス採択地区)。この番組をみた国民は、教科書がどのようにして選ばれ、子どもたちがそれを使わされているかがヨークわかったと思う。
このような、国家が学校教科書を強制するようなシステムが向かう先はどうなるのか、戦争前の教育を知らない国民みんなが考え直さないといけない。日本会議など右翼団体が推す歴史修正的、国家主義的で.一つの価値観を強要するような教科書がじわじわと蔓延してきている現状、とくに横浜市は、議会をはじめ市長・教育委員会が国の思惑を率先して忖度し実行しているような政令指定都市であるということを市民は認識しなければならないでしょう。

《中学校給食問題》
去る7月30日市長選の結果、「給食反対の林市長」の勝利でまた実現は遠のいた感があるが、この問題に昔から取り組んでいる『よこはま学校給食をよくする会』は、これからも「子どもたちのための給食」の実現に向けて取り組みをさらに強化していく方針である。何しろ全国20の政令指定都市の中で唯一、この給食がないところは、「横浜市だけ」というおかしさがようやく全国に知れ渡ったからである。
某週刊誌に取り上げられた、“イメージほど魅力的じゃない「横浜市の正体」”のハマのダメなところ1には、給食がない!
横浜市では、今年1月からは市の委託業者が学校に弁当を届ける「ハマ弁」なるものが実施されている。横浜市議会の一部議員の「弁当には親の愛情がこもっている」との時代錯誤の意見に押され、林市長が「巨額の予算が必要!?(立派な市庁舎建設中の金は?」ということであっさり「ハマ弁」採用が決定した。横浜市は、導入前、一日平均で中学生・教員の20%がハマ弁を食べると予測していた。実際には約1%と大惨敗。筆者の地元の中学(生徒数1000人以上)でハマ弁を採っているのはたったの10人。そのうち教員が7人。この教員は、おそらくハマ弁すら食べられない生徒のために密かにあげているらしい。また1週間前の予約が必要など不便。そもそもお昼休憩が15分しかない横浜の中学校(文科省指導では、45分。関東では30分~35分が最低)。職員室にハマ弁を取りにいったら食べる時間がほとんどない(泣)。子どものバランスのとれた成育や健康よりも予算(金)や議員の顔色のほうが大事ということか!?








みちくさ通信№83
「信じて見守りましょう!」
道草世話人T.K
   

 平穏な生活に暗雲がかかってきたのは10年前、息子が中学3年生の8月頃でした。小さいころからサッカーが大好きで、中学ではサッカー部に入り後輩の面倒も良く見るごくごく普通の中学生でした。夏の大会が終わり、さあ高校受験に向けて頑張るんだろうと思っていましたが、夜間外出(昼夜逆転)から始まり、喫煙など注意をすると家の壁はボコボコ、殴り合いの喧嘩もしました。親として高校卒業の学歴は必要と考え、息子と話し先生とも相談し、何とか入学できたのもつかの間、入学後3日で先生とトラブルになり行かなくなりました。
 それから、さらに風雨激しく嵐のような日々になりました。窃盗(鑑別所)、バイク無免で事故(膝骨折入院)、入れ墨、薬物(少年院)、恐喝(少年院)、この間7年、子供の教育について、自虐的なことばかり考えていました。
 二度目の少年院出院の帰り道、息子が「少年院は、もうこりごり、院生は親に虐待されている者が多くて、俺は良い家庭環境で育ったことがよくわかった。」と言ったのを聞いて、育て方は間違っていなかったと思いました。
 今息子は、24歳で廃品回収の仕事に携わり、家庭を持ち2児の父親です。親から見れば、まだまだ危ないことばかりですが、非行に走ってしまった息子と付き合えたのは、道草の会、あめあがりの会、ダルクの皆さんのお蔭と感謝しています。いろいろな話を聞かせていただき、良きアドバイスをいただきました。
 子供の言動に一喜一憂せず「焦らず、少し頑張って、あきらめず」立ち直りを信じて見守りましょう。


みちくさ通信№82
33才(長男)と28才(次男)の親(63才) この頃思うこと
道草会員 S


次男は、フリースクールを卒業後、ガールフレンドの紹介で、彼女の高校の先生の始められたラーメン屋で働くようになり、又、数年後には、その店の先々代の店長だった先輩が独立して始めていたラーメン屋に移りましたが、今も真面目に仕事を続けています。
ラーメンとの長い付き合いのきっかけを作ってくれた彼女とも結婚し、この4月には一女のパパになりました。
 薄給は、とにかくまず彼女に全額渡して、自分のお小遣いはわずかで我慢。慎ましい一家の主としての生活をスタートさせたところです。仕事を辞めた彼女と生まれてきた子を養っていく立場になった彼を、私達親としては経済援助しながら、ゆっくりでいいので、無理なく共稼ぎの軌道に乗れるよう、見守ってゆこうと思っています。
 長男は、27才で絵を学ぶ決心をし、美大入学卒業後、2年が経ちました。パチンコ屋でバイトをしながら、心は絵が本業、で暮らしていますが、卒業後は、電話にもメールにも返信なし。安否確認は、目下、手元に預って残っている彼の預金通帳に、給料や副収入の少額の記載、生活費の出てゆく数字に動きのあることだけが頼りです。
 私は二人の息子の中・高時代は「普通の成績」「普通の子」を要求して息子たちを傷つける親でした。それはもう卒業したつもりですが、通帳の動きを確かめ『生きているな』『貧乏でも、夢持って生きてるな』と、さし出がましいことは、言ったり、したり、しようとしないで、遠くから幸せを願っていてあげようと思っています。



みちくさ通信№81
当時の息子の気持ちがわかった?
=レポートをよみかえすことでふかめたい
道草の会世話人 K・T


 2014年4月に春野さんの進行で、壇上で初めて息子と思いを語る場が与えられ、その20頁にもなるテープ起こしの原稿が手元にあります。息子の気持ちがどれほどつかめるのかと、改めてそのレポートを読み返して見ました。
(逮捕まで)
・お金が必要な時帰る。やましい気持ちもあり、自分から親に距離をとっていた。
・中3の頃から、塾とかに行き出すと悪友っていうか周りの中学校と仲良くなるんですが、暴力はふるわなかったですね、親には。
・朝6時くらい6人くらい(警察)です。早朝にちょうど寝たころを見計らって来たんですよ。僕はこの日に来るって知ってた。母親も目の前で逮捕状を見せらるので、ショックでしょうね。ベッドを囲むような感じで。でさっさと荷物用意しろという感じで。
(院の生活)
・それでも6ヶ月間くらいは、暴走族だったりとかの時のことをずうっと考えてて、出たらもう1回復活しようって思ってた。半年ぐらいからあきらめだしてきて、この先どうしようか、出た時どうしようかと考え出した。その時、出た時の恐怖。半年とか1年とか、ずっと居ると、出た時のことが怖くなってくるんですよ。少年院では親が月1回30分の面会に毎回来てくれてたっていうのは覚えている。面会のシーンだけは今でも覚えていますし、親の白髪頭を見たりして「いいかげん、何とかしないとな」って、後半ふんぎりつけた1つの要素だったと思う。北海道の千歳にアパートを借りててくれて、親も本気でやってくれてるっていうのには、当時はちょっと感謝した。
・北海道の高校に行くことについて、当時としては僕の人生、自分の人生でこんな大きな決断はしたことがないっていうくらい考えた。行く以上は、地元と関係を断ち切ろうっていうのも考え、結果、僕自身の決断で「北海道に行きます」という判断をして、少年院を出院したら次の日にもう北海道に行きました。
(3年間の、北海道の高校生活)
・高校に行って、まず思ったのが、その北海道の高校は絶対に生徒側の目線に先生が立ってくれて、まず話を聞くっていうのがもう絶対的だったんですね。先生の存在も僕の中では、過去にはない大きなものでした。大学は、地元に戻って来まして、4年間で卒業しました。今は普通に社会人としてやっています。
(32歳の今)
・特に昔と何が変わったかと言われると、あんまり変わったという実感はないですね。15歳の時からして32歳って結構おじちゃんみたいな感じでしたけど、今この年になって思うのはそんなに変わらないですね。犯罪には手をそめないっていう一線ですね。それだけは変わってきたなぁって思いますね。
(父親の気持ち)
・私にできるのはどういうことか、と思った時に、面会の時に握手をすることを求めたんです。それから、毎回の面接の時、北海道の学校に訪ねて行った時握手をするということが、私にとって「父親の出番」の役割かなという思いがあった。最初の握手っていうのは、とにかく手がワンタッチするくらいの握手だったんです。それが、高校で生徒会とかいろいろやる中ですごい力がみなぎってきて、最後の文化祭とかは、力強い握手でした、つい2年程前ね、息子の方から私に握手を求めてきた。これは、すごい僕にとっては、今までの保護する者と保護される者の関係が、力関係が変わったという感じがしましたね。
(寄り添うって言うことについて)
・「信じてるに決まってるだろ」とか、「大丈夫だよ」っていうのも、言葉に出さないとわからない、僕らには分からないですね。たぶん、親はいろいろ思っていても、言葉に出さないと僕らは分からない。「親なんだから、お前が大事に決まってる」だって、そんなの言葉に出さないと分かんないで、そういうところ何となく言葉に出すっていうのがいいの
かな。
(感想)
 すべての言い分に納得できないが、やましい気持ちがあるから暴力的になる、弁護士等の世話になるとヤクザ組織への恐怖を感じる、バイク走行は魅力を感じるが、乗るときは家から離れて運転する、中学の先生には一つの見方だけで対応して欲しくない、親には無条件に反発したくなる(身近な信頼できる大人が居れば)など、初めて息子の言い分を聞くことが出来た。