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みんなの思い③(道草通信より)

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みんなの思い――みちくさ通信より③

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みちくさ通信№97
誰でもどなたでもいい! お願いです! ワタルを助けてください!
道草世話人 ケイト


年が明け間もなく33歳となるワタル。彼が中2の夏、我が家に嵐が吹き始めた。見知らぬ自転車を乗り回しているのを見かけ、「その自転車、誰の?」と聞くとサッサーッと逃げだす様子に、「あれっ!? 何かおかしい・・・」と不安がよぎった。慌てて車で追いかけ「間違いを正さねば」と問い詰めた。私からワタルへの攻撃的な叱責は、直後、倍の反撃として私に戻ってきた。今までと違うワタルの反応…。この出来事は、私にとってつい最近まで、“ワタルが「非行」という坂道をころげ落ち始めた瞬間”だと思ってきた。でも、本当は、ワタルではなく“私自身が坂道を転げ落ち始めた瞬間”だと思う。
その後の彼は、喫煙、遅刻、怠学、授業中も仲間とつるんで校内徘徊など…。何が起きているのか訳が分からないまま、ただオロオロする私を尻目に、夜中や明け方の帰宅、半分削ぎ落した眉毛と三角に吊り上がった眼は、まるで地獄からの呼出し状におののき絶望しているような形相だった。バイクの無免許運転で何度か補導され…、私には長い長い先の見えない、とにかく今まで経験したことのない時間だった。
夜中遠くで救急車のサイレンが聞こえると、ワタルが暴走行為で事故を起こしていないか、誰か巻き込んでいないか、胸が苦しくて悲しくて辛くてたまらなかった。学校からは毎日のように連絡が入り、親として精一杯育ててきたささやかな自尊心は砕け散り、私の育て方のどこが間違っていたのか、何が悪かったのか、どうしたら元の息子に戻せるのか、途方に暮れるばかりだった。
そんな時、それまで祖母としてやんちゃな彼とあまり仲良しではなかった同居の母が、彼の大好物のチャーハンをせっせと作り、小遣いをせびられると前もってお金を減らた小銭入れの中を見せながら、「これしかないから、少しだけど我慢してね!」と小遣いを渡してくれた。
父もワタルを見かけると時折声をかけ、自分が通う教会に連れて行った。もちろんワタルが信心深い訳ではなく、途中で奢ってもらうお楽しみと、彼なりに嵐の中必死で尖がり粋がっている日常からひととき解放され、あまりあれこれ言わない祖父との穏やかな時間だったのかもしれない。
その後も、ワタルが小学4年の夏休み次女と2人でひと月近く遊びに行かせてもらった遠方の叔母と従兄を頼り、今度は彼1人畑仕事を手伝うという名目で面倒を見てもらい散々心配をかけた。それでもここまでは身内の話だが、お世話になった方々のことを思い出すと、これはまだ序章でしかなかった。
ワタルを飲み込み苦しめた激しい嵐は、見映え良く装ってきた私の鎧も引きちぎり吹き飛ばした。私は見栄も外聞もなく髪の毛も振り乱し「誰でも、どなたでもいい!お願いです!ワタルを、大切な息子を、どうか一緒に助けてください!一緒に育ててください!お願いします!」と大声で叫ぶことができた。


みちくさ通信№96
-第17回「非行」「子どもの問題」を考える親たちのつどいの報告-
リアルに人や自然と接し、心の動く経験を
世話人 上田祐子


9月28日、「今どきの子どもたち」をテーマにつどいを行いました。
講師は元家庭裁判所調査官でNPO非行克服支援センター理事・相談員の伊藤由紀夫さん。私たちが例会で感じている「集団での非行が減って、振り込め詐欺の受け子や薬物など、個別、内向きになってきている?」という疑問に対し、非行の変遷や子どもたちの心のあり様など、ていねいな資料も用意して、ひも解いて下さいました。
インターネットなど今の時代の影響も大きくて、リアルな対人関係を持つことが難しく、リアルとバーチャルの境がはっきりしなくなって、見たくないものは見ないですませられるなど、現実を検討したり適応したりする力が弱くなっていること。また、すぐに返事をしないとはぶられる即レスなど同調圧力を強く感じ、ゲーム依存で強迫的になるなど、自分の感情を自分のものとして感じたりおさめたりが難しくなっていること。子どもたちがどれほど孤独や不安を感じやすい環境の中で生きているのかを思い知りました。
伊藤さんは、リアルな体験、人や自然と接する機会を作っていく大切さを言われました。今を大切に実感しながら、心が動く経験を積むこと。否定ではなく肯定的な関わりを経験していく等々。最後に、少年法年齢引き下げの動きの問題も指摘されましたが、子どもたちにとって大切な、リアルで肯定的な人と関わる機会を奪う動きだと、改めて引き下げの流れを食い止めたいと思いました。後半の質問コーナーでは、参加者からの質問に答えていただきながらより深いお話を聴くことができました。タップリ取っていたはずの時間が足りず、また機会が作れたらと思います。
体験報告は4回少年院に行ったかけるさんが、それぞれの少年院での思いをていねいにたどりながら、4回めの特別少年院で、もう下がない、一番下からやり直そうと、目の前のことに全力で取り組むようになって、それが習慣化し、人格や考えが変わった。自分に目を向けるようになって、夢や目標を見つけられたのが変わるきっかけになったと話してくれました。やり始める前から自分には無理だと、可能性を否定したり逃げていた人生を、挑戦する人生にしようと思って少年院を出た。少年院で見つけた夢は歌手。実現できるかは別にして全力で取り組むことで生かせることはある、自分で決めて一度挑戦してみようと、出院して全力で挑戦した。挑戦を続け、自分という人間が変わったら出会いも変わって、支え、教えて下さる人に出会えている。出会いって大事だなと思う。
今日ここで話していることも挑戦で、緊張してるけど自信になっている。ずっと自分をクソ野郎だと思ってたけど、そんなことないんだぞと自分でも認識ができる。子育て、仕事、講演、社会人サッカー、趣味、今までできなかった、やってこなかった、でも本当はやりたかったことを、これからは色々挑戦していきたいと思っているというかけるさんのお話は、伊藤さんの、リアルに人と関わり心の動く経験が大切というお話とダブり、胸が熱くなりました。
残念ながら参加者は少なかったのですが、何年ぶりかで参加して下さった会員の方や、会員や講師の伊藤さんのつながりで、BBS活動(兄や姉のような存在として悩んでいる少年少女たちに関わる活動)をされている方、弁護士さんや元調査官の方なども参加して下さり、新しい広がりができたつどいでした。


みちくさ通信№95
焦らず・少し頑張って・見守ろう!
会員 K


息子が道草を始めだしたのが中学3年生の秋、たばこ、夜遊び、校則違反、学校に行ったふりして欠席、事あるごとに学校からは呼び出しを受け、さらに警察からは保護の連絡、怒ったり、なだめすかしたり、いろいろな方法を考え実行してみましたが、親の思うようになりませんでした。高校は入学しましたが、3日で先生とトラブルを起こし、1ヶ月程で退学することとなりました。あげくの果て鑑別所に行くことになり、まったく知らない世界に放り込まれ、親としてどうしたらいいのか?途方に暮れていた時、「道草の会」、「あめあがりの会」に繋がることができました。
わらをもつかむ思いで例会に出席し、それぞれの会の世話人の方、会員の皆様からいろんな経験談、アドバイスをいただくことができ、落ち着きを取り戻すことができました。そんな中で『焦らず・少し頑張って・諦めず』という言葉を心に刻み息子と接してきました。
それから約10年、未成年のときに更生施設に2回、計2年間お世話になり、その時は息子の人生終わりかな?とも思いましたが、反省を促し、居場所が特定され、3食食べさせてくれて、規則正しい生活を指導してくれる、その更生施設に感謝したこともありました。息子にとっては、必要な道草だったかも知れません。
今、息子は26歳になり、結婚し子どもが3人います。外から見れば、一般的なまあまあ幸せそうな家庭ですが、父親としての顔、夫としての顔、仕事をしている時の顔が極端に違うときがあります。その親として微笑ましい時もありますが、冷や冷や、ドキドキしていることが多く、これが息子の生き方なんだろうなと感じています。
母親は、息子が未成年の時は、振り回され右往左往していましたが、今は『成るようにしか成らない』と言い、心配しながらも息子とは少し距離を置き、孫一番でかわいがっています。私も『焦らず・少し頑張って・諦めず』の信条から、『焦らず・少し頑張って・見守ろう!』と変えて過ごしていこうと思います。
今までお世話になりました皆様に感謝申し上げます。また、これからもよろしくお願いいたします。



みちくさ通信№76
2人で創る笑顔
道草の会世話人 樋口優子
 

2010年に書いた、保育園のお母さん達に向けて書いたメッセージです。
子育て中の日々の大変なことに出会った時、自分のことで手一杯で我が子の姿が見えなくなることがあります。まだまだ、手の内にいる幼児の時でさえ、そうですから、荒れて、親に向かってくる我が子に対して客観的に見るなんてことは、至難の業です。
でも、でも、そんな時、フット思い出せるものなら、以下のメッセージも何かの役にたつかしら、と思い今回は、この文章を原稿にしてみました。

園長からのメッセージ(2010年7月10日)
お母さん、  子どもの笑顔と1日何回出会えますか。
笑顔にはいろいろありますよね。
口を開けての大笑い・はじけるような笑い・にこっと一瞬の笑顔・にんまり笑顔・
はにかみ笑顔・照れ笑い
あなたは、どんな場面でどんな笑顔に会うのでしょう。
夜寝る時(寝かせる時)にフット一日を振り返ってみませんか。
たった一つで良いです。
「今日この子の笑顔を見たかな?」
それだけで、充分です。笑顔が子どもの心の一つのバロメーター。
「この子今日どんな様子だったかな?」
と振り返ると一日全部、思い出さなければなりません。深く考えてしまいます。
時には深く考えることも必要ですが、そんなに詰めて子どもを見ると、全体像を見ずに局部のみから見てしまい、心配や不安に駆られたりします。
親が心配や不安の思いで子どもを見ると、それが子どもに伝わり、子どもが緊張してしまいます。或いは、親に合わせてしまうことがあります。
 
もし今日見ていなかったら明日に廻しても良いのです。
明日意識して見れば良いのです。

もし、どうしても今すぐ見たかったら・・・・・・・・、くすぐっちゃえ!!
笑いを創り出してください。
くすぐりはお母さんが笑いながら仕掛けてくださいね。
子どもが笑ったらお母さんは喜んでもっと笑う。
子どもはもっともっと笑う。
2人で創る笑顔です。
親子で布団の上でコロコロと笑い転げる姿は最高!




みちくさ通信№75
道草の会の14年間に思いを寄せて
道草の会代表 樋口義博 


(1)ほっとできる例会
 ひとりで悩まないでと、今から14年前、「非行」や子どもの問題行動に悩む親たちが集まって、「かながわ『非行』と向き合う親たちの会」(道草の会)がつくられました。親だけでなく、教師、司法関係者も加わって、毎月第4土曜日に例会を開いてきました。時には少人数の集まりになることもありましたが、一人ふたりと新しい会員も加わって毎月欠かさずに行ってきたこの例会が、道草の会の価値ある原点であったと感じています。前号の「みちくさ通信」にも会員の中原さんが、「子どもの非行問題は親の心をじわじわと痛めつけます。こんな場合はこう対処、といったマニュアルがあるわけでもなくただただ道草の会で話を聞いてもらい、少しだけ気が軽くなります」と書いています。まさに、月に一度の例会が元気をつくる。そこに、価値ある道草の会の原点としての例会があるとあらためて感じざるをえません。
(2)子どもたちをとりまく深刻な状況
 今、子どもたちをとりまく状況は、ますます深刻になっています。さまざまな子どもたちの起こす暴力事件・荒れの問題・「非行」・いじめ問題等の問題行動が、毎日のようにマスコミでもとりあげられています。数日前の「川崎の事件の裁判」の報道には被害少年だけでなく、加害少年や親たちの思いに心を寄せるにつけ「いったい私たちに何ができるのか」――やりきれない複雑な思いでいっぱいです。
 今、子どもたちだけでなく、大人も含めて、人間らしく生きることが大変むずかしくなっています。人間としてまともに生きるのに大変な努力が必要になっている世の中です。「子どもの貧困」(「社会の貧困が子どもたちを襲っている」との捉え方が必要)という言葉まで生まれています。そして、一人ひとりの生き方と人権が大切にされなくなっています。平和もおびやかされています。日本国憲法前文に見られる「平和のうちに生存する権利」が奪われようとしています。いや、奪われつつあるといってもいいでしょう。安保法制(戦争法)の強行採決・民主主義破壊・憲法破壊などの動きは、その最たるものでしょう。「貧困と格差」「自殺大国」「いじめ社会」「地域社会の崩壊」など、嵐のように“社会のゆがみ”が押し寄せています。
(3)平和な環境のもとで人間らしく生きたいという願い
 今、『思春期』の真っただ中の日本の子どもたちは、自分の人生の未来に希望をもてず、大きな不安を感じています。私は、今の日本の子どもたちは、世界の中でもとび抜けて過酷な『思春期』を生きているといっても過言ではないような気がしてなりません。そのような中で、子どもたちの「心の荒れ」や「非行」の問題が深刻な問題を生み出してきていると言えるのではないでしょうか。それは、“人間らしく生きたい”という心の叫びとも言え、「平和な環境のもとで、人間らしく、自分らしく生きたい」という強い願いだとも思うのです。
ところで、人間の成長発達にとって『思春期』とはどのような時期なのでしょうか。
(4)あらためて『思春期』の捉え直しの重要性
  今、「非行」の問題を考えていくとき、私たちは、人間の成長発達にとって大変大切な『思春期』について、改めて正しく捉え直す必要に迫られているような気がしてなりません。それは、今の日本は、あまりにも『思春期』の成長発達が子どもたちに保障されていないと強く感じるからです。
『思春期』とは、これまでの自分をこわして新しくつくりかえていく、そのことを通して自立していく重要な時期だといわれています。これまで自明だと思っていたことにいちいち疑問をもち、自分自身にも疑問をもち、その不安やいらだちを他者(親や教師や友人など)に全部ぶつけて精神的な葛藤を重ねながら、間違いや失敗を重ね、ときには回り道もしながら、新しい人間関係をつくり、新しい自分をつくっていく。そういう点からすれば、子どもの成長の過程の中で精神的にもっとも不安定な時期であり、さらに誰もがくぐりぬけなければならない時期だといわれています。「青年期」の発見者で有名なルソーは、彼の著書「エミール」の中で『思春期』を「危機の時代」という言葉であらわし、「熱病にかかったライオンのようなものだ」という表現までしています。あらためて、『思春期』とは、子どもの成長過程の中のこのような時期だということをしっかりふまえて、「非行」の問題も捉え直していく必要があると思います。つまり、「非行」問題とは『思春期』の発達が今の子どもたちに保障されていない日本の社会の中で、その社会がもつさまざまな「負の要因」が複雑に絡み合って起こる社会現象だということです。
(5)希望を見いだせる若者たちの行動
 今、若者たちの中には二つの傾向が見られると思います。一つは、生きることに自信をなくし、不安な気持ちの中で、人間らしく生きることへのあきらめの傾向。もう一つは、自分らしく、人間らしく生きることに自覚的にチャレンジしようとしている傾向。この二つの傾向が、社会的にも、又、個人的にも絡み合いながら、せめぎ合っているということ。それも大切なことは、同じひとりの人間の中でそのせめぎ合いがあるということ。そして、そうしたせめぎ合いの中で、自分の生きる道を探り当て、前向きに人間的に生きることにこだわりをもちはじめた若者たちが増えてきていること。今、そこに大きな希望を見いだすことができます。安保法制(戦争法)や原発などの危険な動きに反対するシールズや高校生たちの行動などはその代表的な例だといえると思います。私は、「人間は人間らしく生きられる世の中(未来)につくりかえる力(変革主体)を本来もっている」ことを信じたい。
子どもは未来!





みちくさ通信№74
教員を辞して
道草の会会員 中原一郎
 

昨年10月末に再任用を止め退職し、37年と7ヶ月の間、貼り付いていた県立高校教諭の肩書きがなくなり、無職の年金生活者になりました。無収入になったのは痛いのですが、様々なプレッシャーも無くなり、気分はすがすがしくすら感じられます。新採用のころと比べて最近は教育活動の自由が失われたように思われます。授業者が自作のテスト問題を作り、採点し評価を行う。そんな当たり前のことができない職場でした。県からの通達だから複数の教授者が担当する科目は、共通問題でやって下さい、一定の学力水準を生徒に保証するには共通問題でなければなりません、それが校長の指示です。社会科は、担当者の教材の料理のしかたがそれぞれ違うから共通問題は困りますと訴えても受け入れてはもらえませんでした。一定の高い学力水準を満たし、生徒の興味関心を引き出し、かつ飽きさせない授業を提供することに自信が持てないため、退職することにしました。

社会科の学力とは
退職の直前に違憲の疑いがきわめて濃厚な安保法案が国会で強行採決されました。ちょっと前まで、集団的自衛権の行使は憲法9条のもとではありえないとしてきた内閣法制局の解釈を法制局長官を差し替えて一内閣の閣議決定で変更し、そして強行採決でした。
思えば、教育基本法の改悪、武器輸出禁止原則のなし崩し的廃止、特定機密保護法の強行採決、世界で一番厳しい審査基準をパスした原発は再稼働させる(と安倍首相は言うが、田中審査委員長は基準をクリアしても安全を保証するものではないと正直な発言)、アンダーコントロールと嘘を言ってオリンピックを東京に招致、福島原発の後始末さえできないのに原発を海外へセールスしてまわる……安倍政治の厚顔破廉恥な悪政の数々に国民の一人として暗澹とした気持で教壇にたってきました。
東大・京大をはじめ最高学府の法学部を出た与党の国家議員が安倍首相の嘘の数々に一言の異も唱えない、立憲政治の何たるかを知悉しているはずの最高学力水準の人たちが安倍政治のおかしさに何も言わずに支持するだけ……、阿部首相の意を受けた黒田日銀総裁、横畠内閣法制局長官、籾井NHK会長……おかしな人たちばかりです。NHKの良心的番組クローズアップ現代が改変され、国谷キャスターが降板させられるという記事が新聞にのりました。第一級の優秀なキャスターが排斥される、何ともおかしい出来事です。おかしいことをおかしいという、国家指導者の嘘を見抜く力こそが真の社会科の学力なのではないでしょうか。
憲法の最高法規性を規定した憲法98条の①項 この憲法は,国の最高法規であつて,その条規に反する法律,命令,詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は,その効力を有しない。
安倍首相は夏の参議院選挙で改憲勢力を3分の2占めいよいよ改憲へ動き出すようです。非立憲的独裁政治を国民が支持するようなことになればもうおしまいでしょう。

一昨年の夏に発覚した大学生の娘の非行。どうしてこんなことを…道を踏み外した娘もおかしいが、その非行を知った母親のもっとおかしい言動。「早く死んでほしい、あいつ大嫌い。」子どもの非行問題は親の心をじわじわと痛めつけます。こんな場合はこう対処する、といったマニュアルがあるわけでもなくただただ道草の会で話を聞いてもらい、少しだけ気が軽くなります。子どもの貧困は6人一人の高率だそうです。若い人の非正規労働者が増え続けているそうです。国会前に集まって「アベ政治を許さない」と気勢をあげられる人々の背後には、一日を生きるのに精一杯の庶民が、家族のことで頭が一杯の人々が大勢いるのだと思います。オリンピックではしゃいでいる人たちの対極に故郷を奪われた福島の人々がいます。原発事故がもう一度起これば日本は破滅すると想像できない日本の指導者。ペラペラとウソの達者な安倍首相、ウソをウソと国民の多くが見抜いています。




みちくさ通信№73
「普通ではない」
筑波大学大学院/日本学術振興会 髙橋 康史
 

私は,筑波大学大学院人文社会科学研究科に所属している髙橋康史(たかはし・こうし)と申します。非行少年や罪を犯した人のご家族が経験する生きづらさや,社会からの偏見について研究しています。ここでは,私がなぜこういった研究をするようになったのかを,話していきたいと思います。
私は,四国の田舎に生まれました。小学校から高校までほぼ同じ仲間と過ごすような地域で,ご近所の方とも密接に関わりをもっていました。そのような地域で暮らしていましたが,中学生になってすぐのころ,私の家族が精神疾患を患いました。どこに相談すればいいのかもわかりませんでしたし,そもそも身内に精神疾患を患っているものがいるということ自体を友人やご近所の方に言うことができませんでした。学校へ行きクラスメイトから家族の話が出た瞬間,私は家族のことがばれてしまうのが嫌だったので,自ら孤立していきました。なぜ話せなかったのかは未だにわかりませんが,このような経験から,家族内の問題を人に話や相談ができないのはなぜなのだろうと深く考えていくようになりました。
また,私は小学校から中学校にかけていじめを受けました。しぐさや振る舞いが男らしくなく,また女の子と居ることが多かったことがいじめの原因でした。そのころは,今思い返しても辛い日々でした。毎日毎日,学校をどう休むのかを考えていました。そんな時,私の力になってくれたのが「ヤンチャな子たち」です。「ヤンチャな子たち」は,私の女々しい振る舞いに対して特に触れることもなく,普通に接してくれました。また,放課後には毎日のように「遊びに行こう!」と誘ってくれました。「ヤンチャな子たち」と居る時,私は自然に立ち振る舞うことができました。この経験から,悪いことをする人たちが「弱いものに優しい」というイメージをもつようになりました。
こうした経験を経て,私は中学卒業したら地元から離れたいという思いが強く芽生えるようになりました。もう1度,私のことを全く知らない人たちがいるところで,1から生活がしたいと思うようになりました。高校は,四国内の違う地域の高校に,下宿をしながら通うことになりました。その結果,人生をリセットする気持ちで,高校生活を送ることができるようになり,地元の友人とも再び連絡を取り,地元に帰ったら会うようにもなりました。
このように,私は「人と違う」あるいは「普通でない」ということを強く意識させられる人生を歩んできました。小学校や中学校時代の友人は,今でも連絡を取っていますし,当時の私は考えすぎていたと思います。しかし,「人と違う」「普通ではない」と感じていた私にとって,そこにいること自体が非常に辛いものでした。
こういった理由から,非行少年や罪を犯した人のご家族が経験する生きづらさや,社会からの偏見について強い関心をもつようになりました。自己紹介で終わってしまいましたが,もし機会がございましたら,道草の会や「非行」と向き合う親たちの会に参加してからの感想などについてもお話しさせていただきたいと思います。